KEWA者RAP 演劇はライブである

ゾンビ歩き

前回の記事にあった「公開ワークショップ」

生憎の雨降り模様だったせいか、新規参加者の姿もなく予定通りの参加人数で行いました

、、、って、雨のせいですよね?

行くつもりだったのが夜の雨空を眺めていたら結果断念した、もしくは夕飯の後でついひと眠りしたら気がつけば9時を回っていた

、、、んですよね?

ね?

そういう事にして、と

こちらは全然期待していなかったのでいつも通り身体を動かして声を出し稽古用の台本を使っての稽古をやりましたよ

でお馴染みの一枚

本日は「伝説の映画の名場面Tシャツでゾンビ歩きをする」の図です




よくわからない方の為に拡大写真もどうぞ




どんな映画かご存じない方の為にバックプリントもサービスしときますね




そういえば「ゾンビ歩き」って写真にあるように両手を上げて歩く、ってイメージですよね、きっと?

でもこれって実は違うんですよ

今まで数あるゾンビ映画でそんな歩き方をしているゾンビ(ウォーキングデッド)ってほとんど見かけたことないですから

ただ、、、例外としてひとつだけあるんです(映画じゃないですけどね)

それは、、、マイケル・ジャクソンの『スリラー』

そう、世界的に有名なあのMVです

ジョー・ダンテが監督しリック・ベイカーが特殊メイクを担当しヴィンセント・プライスがナレーションを務めた、ほぼ短編映画といってもいいくらいの完成度

ここに出てくる、というか踊るゾンビがまさに「両手を上げて歩く」ゾンビなのです

なのでこの日行った「ゾンビ歩き」のエチュード(?)はストレッチ効果も兼ねてこっちの「両手上げ」をチョイスしました

、、、ってやったんかい!

でもこれがやってみると意外といい運動になるんです

皆さんも良かったらご家庭でどうぞ

ということで次回稽古は


、、、、未定です




  

キは「起点」のキ

ブラッドベリのようなタイトル、ですがこれがSFならば楽しい話、されどここにあるのは現実、それも厳しい現実

猛暑続き、、、も厳しい現実ではありますが耐え忍べば何とか乗り切れるソレと違ってこっちは耐えても忍んでも何もなりません

とはいえ決してネガティブになっているわけではありません

むしろ諦めの境地からの次へのステップに踏み出す覚悟を決めたと言っても過言ではないでしょうね

、、、何のことかわからない?

その前に

個人的にここ何年も親しくしている書家の方にお願いして「今年の一文字」というのを書いていただいてます

その年の決意のような気持ちを込めて一文字、自分で選んでお願いしているわけですが今年は何しろ劇団員ゼロという状況

ここを打破する意味でも、そして自らハッパをかける意味でも様々な念を込めて

「起」

という文字にしました

それがこちらです





勢いのある素敵な文字ですよね

気に入ってます

当初、「起」というのは「再起動する」というつもりでの「起」だったのです

今まで劇団の看板を揚げずプロデュース公演の形で自由にやってこれたのですが一念発

、、、は大げさとして、劇団という看板を背負ってみるのも悪くないかも、と思いついての劇団KEWA者RAP

とはいえ劇団員が居なければ今までと何も変わらず

そんな状況が続いたのでそろそろ行動をこさないといけない

そう思っての「」の一文字

さあ来たれ!劇団員候補生よ!

、、、と意気揚々だったのはつかの間

現実は相変わらずの独り相撲

「再起動」の前に「七転び八起き」どころか「七転八倒」状態

さあどうする!?芝居の道を断念するかそれとも?!



いや、こうなったらキは「起」でも「起点」の起にしよう

つまり一から始めるんだから無い状態からの「起点」でいいじゃないか

そう思えばキキキのキ

じゃなくてヘヘヘのヘ

何でもいいけど居なければ一人でやれるところからやればいい

今までは抵抗があった一人芝居なんてのもいいかもしれない

もっとも需要があるかどうかは別、、、ですがね


ということで次回稽古公開ワークショップとします

ワークショップとかいってもそんな気負ったものじゃなく単に開放してみるだけのこと

興味がある人がいたら覗いてみればいい

黙って観ているだけも良し

声を出してみたいと思えば参加してみるも良し


来るものは拒まず去る者は追わず

勧誘の心配もなし


7月14日(木)午後8時から9時まで

勤労青少年ホーム一階談話室にて


現在参加者2名(私含む)

(ワークショップは劇団員を募集する目的ではありません、あくまでも自分たちの為に不定期で行っている稽古の一環です)






  
タグ :演劇

いとしさとせつなさと心強さと

どうも、TKです

もとい、HTKです

H(人が)T(足りない)K(ケワ)です

ここ続けて曲名シリーズのようなタイトルになってますがただの偶然です

「偶然とはタイミングの合う必然だ」

とはどこかの誰かが言ったか言わないか、な名言(迷言)ですが、人との出会いも偶然が起こす奇跡のようなもの

なんでしょうねきっと

そういう奇跡、起こらないかしら

などと(今の所)上演される機会のない台本を読み返して切ない気持ちになる今日この頃

相も変わらずネタといえば稽古をした、という事ばかり

勿論、稽古は大事です

日頃の鍛錬あってこその役者

ちょっとやらないだけで声が出ないのを痛感しますから、間違いなく

で一か月くらいぶりの稽古は今回も参加者アリでした

その方の持つ多様性を探りたくてエチュード用の台本を用意し読んでもらいました

せっかくなのでブログネタ用にお馴染みのポーズを撮ってもらいました




ヨガ教室か!

いえいえ普通のストレッチです

、、、えっ、苦しそうに見えます?

気のせいですよきっと


ついでにこんなのも




ゆーとぴあか!

、、、えっ、知らない?

というどうでもいい話はともかく

こうして興味を持って参加してくれるだけで十分心強いし、しぼみかけた次なる企画への勢いづけというか、諦めかけた気持ちも前向きになるかもしれないのでありがたいものです

あともうちょっと人が集まってくれると、、、なんてのは贅沢な望みなんでしょうかね


バンド活動もそろそろ活気づいてきたようですし、アングラな、、、いや、マイノリティな方の演劇もそろそろ

次回稽古は6月中を予定

興味のある方はメールください



kewarapp@gmail.com




  
タグ :演劇お笑い

懺悔の値打ちもない

ざんげの値打ちもない、、、北原ミレイさんの歌だっけか

そう思い「あなたの筒」で検索したら山崎ハコさんのカバーヴァージョンを発見

https://www.youtube.com/watch?v=NWhz8vXb144

いいなぁ♪

昔、観た事あるんです、山崎ハコさんのソロライブ
青山のスパイラルホールだったかな、サングラスかけて弾き語りして
めっちゃカッコよかった

。。。という個人的な昔話はさておき

最近ネットの「囀る」をよく観ているんですがスタッフを殴る蹴るしたオリンピック関連の映画監督やら、性依存症のような某映画監督のみならず、演劇関係者(主に劇団主宰者)によるパワハラやらセクハラの実態が連日明らかになるのを目にするにつれ

一介のアマチュア地方劇団の主宰である我が身としては何だか、、、肩身が狭くなるというかなんというか

いや、勿論、殴る蹴るなんて以ての外ですし増してやセクハラなんて神に誓って、、、
いや待てよ、、、飲み会の席でちょいと悪ふざけ的な言動があったかもしれないので神に誓うのはやめとこう

とにかく、大声で清廉潔白を叫ぶほどの聖人君主とまでは申さぬとも、気を引き締めてかからないと明日は我が身かもしれぬ

それに今までの中で稽古場の空気を引き締める為の厳しい言動が無かったとも限らぬわけで、そういう意味でも他人事と言ってられないのです

特に今の劇団員が居ない現状では

、、、もしやあの時の言い方が悪かったのでは

とか

あの時にもっとフォローすべきではなかったか

などと過去の行為を思い起こす事もしばし

去っていった者の中にはこちらが思う以上に嫌な思いをしたのかもしれないわけで、幾ら主宰とはいえ天下人じゃあるまいし、座組のメンバーは舞台が好きで集まっているわけで関係性は言わば「同志」

厳しければいいというものではない事も(これでも)経験上わかってはいるのです

それ以上に、長く一緒にやっていると夫婦とかでもそうですがつい
相手の気持ちも考えず感情に任せてぶつけてしまう事もしばし

甘えてたんですね、きっと
今更ながら反省しきりでございます

さらにパワハラ案件と同じように「囀る」で上がっているチケットノルマの件

私も前に所属していた劇団では一公演20枚というノルマを課せられきつかった事があり、KEWA JAPではそういうシステムを取り入れたくなかったのですが、それでも宣伝しないと人が集まらない

そこで取り入れたのがキャスト(役者)から参加料という名目で千円づつ”預かる”というシステム
ただし、一公演平均千円のチケットなので一枚売ればペイ出来るというノルマほど強いたシステムではないし、何よりもキャストに他力本願ではない責任が生じて宣伝せざるを得ない、これはいいぞ

、、、と思ったものの人脈が薄い人などは一枚売るのもきつかったようで思ったほど意味がなかったな、と

とかなんとか今更こんな事を言ったところで覆水盆に返らず

これからはもっと居心地の良い、それでいて程よい緊張感のある、時に厳しい稽古空間を、、、

って今までもそんな感じじゃなかったかしら

、、、まぁ、やるしかない

今月は稽古します

します!

興味のある方は引き続きお気軽にこちらまで→ kewarapp@gmail.com

稽古場は基本的にマスク着用、換気充分、開放的な空間で、少数、小時間でやってますのでご安心を☆




  

倍速で観られません

聞いた話じゃ近頃は倍速で観るのが流行りとのこと

サブスクとか何とかいうのにそういう機能がついてるとかでドラマでも映画でも倍速スピードで観ておおよそ掴めるんだそうな

、、、って何が?

粗筋?見どころ?

漫画もスマホとかでピョッピョッって画面を弾いて見る時代なのでそういう感覚なのかしら

、、、知らんけど

よっぽど時間ないのかな、今の若い人たちって

その割にはラーメン屋で3時間の行列は苦にしないという謎、、、

令和か!

、、、令和ですね、はい

その点、演劇は倍速モードってのが無理なんでそういう人にとっちゃ苦行なんだろうか

観る方が苦行ならばやる方も然り

稽古もそれなりに時間掛かるし灰皿投げるような演出が居なくとも時に理不尽に感じるダメ出しもある

裏方もそういうのを共有する覚悟で同じ空間(稽古場)に居続けねばならない

それで何が得られるかって?

沢山ありますよ

うまく説明できないけど、小屋入りのあの独特の緊張感とワクワクする感覚

お客さんが入る事によって熱気によって小屋の空気が変わるあの感覚

芝居空間をお客さんと共有することによって稽古の時とまるで違うあのライブ感

終った後に一緒に舞台を作った仲間とだからこそ味わえる美味しいお酒

それらはすべて今まで積み重ねてきた時間があってこその感覚

そんなのを倍速で済ませられた日にはもう、、、

やってらんねえよって

そういえば話は違うけど最近の人はギターソロもすっ飛ばすそうな

それもサブスク?だと簡単に出来るんだそうな

ってギターソロくらい聴いてよ、プログレじゃないんだしせいぜいが長くて数十秒でしょ

技巧派ばかりじゃなく中にはザ・カーズのエリオット・イーストンが弾くソロのような変態フレーズ満載のギターソロもあったりして面白いと思うんだけどなぁ



とギタリストの端くれとして書いてみた

、、、誰が?って私ですよ

タ・ワ・シ



誰がタワシやねん

、、、知らんけど













  

私はコレを「エン劇」と呼ぼう

ブログに向けて色々と書き綴ってはみたものの

ええい、もう面倒くさい!


ってなりましてね

全部消しちゃいましたよ

「どうするべきか、ではなくどうしたいか」

というかの名言を思い出すとアレコレ思い悩んでいてもしょうがない、とにかく動いて声を出す

それから先はなるようになるだけのこと


という事で自主トレのつもりで借りた稽古場、、、のはずが突如、参加志望者が現れまして

といっても我が座組の信頼するスタッフが駆け付け一杯、、、じゃなく駆け付け一枚を撮ってくれたのがこの写真です




背中じゃわかりにくいかもですが飛騨高山ブラックブルズのTシャツ(サイン入り)でございます

走って、歩いて、ストレッチとかして、あとはゆっくりと声を出してアイドリングしながら、外郎売りとかやって

最後は台本を朗々と、声はしっかり出して朗々と

そうすればもう今の状況なんてどうでもよくなるわけです

ついでにヨガ的なポーズもやっちゃったりして

、、、何のポーズか知らんけど





ただ、、、さすがにまだ半袖はちょっと寒かった、かな

次回は5月
  

死んじまえ!は愛の裏返し

などというタイトルを書くと今なら、いや、もっと前からコンプライアンス的にちょっと、、、

っていうかあまりにも世間がコンプライアンスに神経質になり過ぎてやしません?
意図的に傷つけるのはどうかと思うとして、そういう事に気を遣い過ぎてばかりでは表現する方もクソつまらなくなるというか、、、

いやもう思い切って言いますよ

誰一人として傷つけない表現方法なんて無い!



だからこそもしかして誰かを傷つけてしまった場合は本気でフォローすれば良いわけで、最初からすべての人を傷つけない前提でやるのは表現の不自由さでしかない、と私は思うのです

そこで先ほどの言葉が再登場するのです

「死んじまえ!は愛の裏返しの言葉だ」



勿論、DVとかパワハラとかそういう類の目的でもシチュエーションでもありません

文字通り大切な相手に対し「愛している」という意思を伝える手段のひとつだ、という事です



コレ、実は私が考えたものじゃなく受け売りでして

それは昔昔、私ことケワがかつて在京の頃、数々のカルチャアショックを与えてくれた友人であり先輩でもある役者さん(現在は引退)から聞いた演技メソッドについてのお話

その人は当時、とある有名劇団に所属しておりました

私はというとその当時は特に演劇にはそれほど興味があったわけでなく(最初に住んだ町にはアゴラ劇場があったというのに、ですよ(今思えばですが)たまたまその人から劇団の公演のお誘いがあり、何もわからない状態で高円寺の小屋に行ったわけです

そうして物心ついてから初めて観た舞台の生々しさに、半ば恐れつつも衝撃を受け、同時に映画にも精通していたその人(仮にKさんと呼んでおきます)が語る演技のメソッドを聞く事によってその奥深い世界をもっと覗いてみたくなったのです

そこで先述したあの言葉が出てきたのです

Kさん「相手に「愛してる」ってのを伝える時はどうしたらいいと思う?」
ケワ 「普通に「愛してる」じゃダメなんですか?」
Kさん「愛しているなんて普通に言ったって本心かどうかわからないだろ」
ケワ 「確かに。。。」
Kさん「愛してる相手には「死んじまえ!」って言うんだよ」
ケワ 「死んじまえ?」
Kさん「死んじまえなんて誰にでも言える言葉じゃないだろ、それを言えるくらいに本気で相手の事を思っているっていう事、つまり愛情の裏返しなんだよ」


、、、衝撃でした

確かに普段使いですら躊躇してしまいそうなフレーズであり、ましてやそれを言える相手となるとごく限られた、しかも本気でぶつかれる相手じゃないと言えそうもないフレーズ、、、

とはいえリアルな社会ではシチュエーションを間違えると、、、いや、そうでなくともDVかと思われそうなフレーズ
それが舞台ではことと次第によっちゃ堂々と言えるわけでしかも効果てきめん、ということもあり得るわけです

ただ、、、残念ながら未だに自分の戯曲で「死んじまえ!」というフレーズを使った事はありません
いつか使ってみてもいいかな、と思わなくもない今日この頃ですが使わずともそのメソッドは今もココロの中で生き続けております

Kさんとのご縁に感謝ですね

ということで

普段だったら絶対に言わないかもしれない言葉やあり得ないシチュエーションも舞台ならへへへのへっちゃらだい

というのが演劇の自由なところであり面白さでもあると思います

そんな演劇の世界に片足を突っ込んでみませんか?

今なら仮劇団員募集中です

仮、というのはつまりお試しで入ってみるという意味でして、少し関わってみてなんか違うなって思ったら別に抜けても構わないという意味です

勿論、団費不要の入会費不要

ワークショップ的な稽古を月イチ(今後は展開次第で月2~3~4回くらい)で開催しているので遊びに来てみてからで良いです

基本的稽古なので声を出したり、歩いてみたり、走って見たり、動いてみたりというところからなので、気分が乗ったら参加してみてという感じで大丈夫です

稽古場は勤労青少年ホームがメインですので密室状態も回避できてます

年齢も不問にしちゃいます

広く門戸を開けてのウェルカムです

責任は問いませんが無責任な人だけは後々困るので反社的な人や常に気まぐれな人は無理しない方がいいと思いますけどねお互いの為に

気になる方はkewarapp@gmail.comまでメールしてみてはいかがでしょう

ちなみに次回稽古日は27(水)午後8時から9時まで

今回の稽古場所は青少年ホームではないので見学される場合は問い合わせ願います

一度来たからと言って勧誘などしないのでご安心を♪

演劇、やってみると意外に面白いですよ

ケワ












  

春なのに

『的中』という文字を見た瞬間ほど心躍るものはないような気がする今日この頃

当たってますか、皆さん!




(写真はイメージ、、、なのでボカシてあります)


当たる、、、といえば車に当たる、モノに当たる、八つ当たる、、、などついついあまりよろしくない事を思い浮かべがちでしょうけれどここはやっぱり楽しく、で

たとえば「予感」

何しろ春

春ですからね

いつになくソワソワしている恋人、パートナー、親御さん

心当たりありませんか?

春だからと言って急にソワソワしているのは何かをしでかす兆候かもしれません

何であれ、トラブルの火種は早いうちに消しておくのが賢明です

まずは暗闇坂探偵社

私こと風宮楽(カザミヤラク)が秘密厳守でお手伝いいたします



、、、というのは演劇の中のお話

探偵などというものはそうそうお世話になるものじゃありませんからね、ええ

そんなわけで、お馴染みの『暗闇坂探偵社』シリーズをはじめ

コントあり、漫才あり、時に歌あり、踊りあり

の演劇ライブ公演を重ねて来た劇団KEWA者RAPではありますが

実はここにきて存続の危機に立たされているのです

前回までのブログを読んでくださった方ならピンとくるのではないかと思いますがそうです

劇団員がいない

ズバリ、それです

そもそもが即席集団

公演の度に人を集めるという言わばプロデュース公演専門

今でこそ劇団を名乗ってはいるものの劇団という体をなしてきたわけではないので元々が一人

咳をしなくとも一人、出席を取らなくとも一人なのです

では何故今、ヒトが居ないのか?

それは「卒業」

春になるとやってくるあのフレーズです

康秋元の育てたアイドルじゃあるまいし、まさか、、、と他人事のように思っていたのですがこうも続くとやっぱり堪えます

今や柏原芳恵さんのあの名曲を口ずさむ毎日です

かといってその辺に居る人を捕まえるわけにもいかず

「舞台に立ちたい人」でググって探すわけにもいかず

それでも、もしかして興味のある人がいるんじゃないか、と

向かいのホームとか路地裏の窓とか、いるはずのない場所まで探してしまうんです


山崎まさよしか!

、、、失礼しました


まぁこのブログも少なからず覗いていただけるようなので一か八かで懲りずに募ってみることにします

舞台に立ちたい人、じゃなくてもいいです


たとえば

マスクで抑圧された思いを声を大にしてぶちまけたい人

今だからこそ何かを表現してみたい人

己の言葉や動きで人を笑わせたい人

時間が余ってるのに衝動を持て余してしょうがない人

そんな感じの、自称20代から30代性別問わず!

まずはアクセスから

kewarapp@gmail.com

24時間受付中!








  

復活の日

『復活の日』

ってマサオかよ!

映画の題名の事ね、知らんけど

ちなみにマサオってのは草刈正雄さんのマサオ

ああ、あの面白いオジサン?という姿しか知らん人は知らんだろうけれど昔は正統派二枚目役者だったんですよ、あのマサオも

『汚れた英雄』の時なんかカッコよかったもんなぁ、、、、、、、多分

多分?って観てないのかよ!

いや観たけど観ましたけど、観ましたけどね

覚えてないんですよ、主題歌以外

主題歌はカッコよかったなあ、ローズマリー・バトラーの

今どうしてるんだろローズマリー・バトラー

、、、えっ、知らない?

まぁ元々はバックコーラスやってた人だし、これ一曲とあとは『幻魔大戦』の主題歌もこの人だったなぁ、あれもいい曲だった

って何の話だよ!的な流れになってるので閑話休題

昨日は今年初の稽古日

まん防なんたらのせいで施設がキャンセルだったり借りられかったりな状況が続きここにきてようやくの稽古

がしかし、、、時はすでに春

春と言えば人にとっては始まりの春でもあり、その逆の側からいうと別れの春でもあるのです

そしてKEWA者RAPの構成員(?)というかここ数年の座組の一員でもあった未来ある女子一名もまた

旅立ちの時を迎えようとしているのです

送る側としては嬉しいというよりも寂しいわけでして、とはいえ彼女にとってはココから先の未来が大切なわけで

だから静かに見送るのみなのです


『そして誰もいなくなった』

ありましたね、アガサ・クリスティの名作であり映画化もされドラマ化もされ

誰もいなく、、、なりはしないものの前々から呟いていた通り、役者がまた一人減ったわけでして

なので実質、誰もいなくなったも同然、、、なのかもしれません

「諦めないで!」

元タカラジェンヌのようなお言葉、ありがとうございます

諦めませんとも、ええ

昨日も実はもう一名、稽古に遊びに来てくださった方がおりますしね

ホントに?って疑うようでしたらその方に撮っていただいた写真を上げますから、ほら




まあ、歩いてるだけの写真ですけどね、ええ

それはさておき

いざとなれば一人芝居でもやってみせますとも

とりあえず暖かくなってきたしなんとかなりますよ、身体を動かして声をだしておけば

、、、多分ね
















  

ミュージシャンはライブの夢を見るのか

客席からはドッカンドッカン、バカ受けする声

だが肝心の舞台の様子はわからない

スタッフの顔ぶれを見ると今はもういないあの人や、お馴染みのあの人

客席にはあの人の姿も

二年振りの舞台、、、演出の私は幕の裏で静かに客席の反応を見守るのみ

そうして午後8時が過ぎた所で、何故かお客さんの半分くらいが小屋から出ていく

えっ?まん防だからってまだ芝居の途中ですよ

と戸惑いつつもそうこうするうちに芝居が終わる

さてカーテンコールだ、、、と思っているとお客さんはゾロゾロ帰る

スタッフまでもゾロゾロ帰る

おいおい明日のダメ出しとかやる事あんだろ

と引き留める

考えてみれば場当たり(場面ごとにやる照明などのチェック)もゲネもやってないのによく出来たなって

しかも音響ソースひとつ用意し忘れてた?ゴメン(スタッフがナイスフォローしてくれたそうな、、、忝い)

明日は、、、なんと朝8時からの公演?そんなんでゲネとか出来るの?出来ないよねぇ、、、ってそんな早い時間からホントにやんの?

ほう、、、照明さんは7時に小屋入り?それって別に当たり前のコトでは?

二年振りの舞台だから感覚が鈍っているとはいえ、自分も含めて明日はダイジョウブなのか??



、、、という夢を見ましたとさ


そろそろかな

そろそろだな、きっと








  

2022年の豊富なラインナップ

通称:まん防とかいう、コロナ禍において効果があるとは到底思えないほぼ戒厳令のような現状がさらに延長されるそうですね

はいそうですか

私はコレを「考える事を放棄した親方日の丸による愚策」と呼んでおりますがそっちはもう勝手にしてくださいってね

こんな事に振り回されてこちらのモチベーションを下げられてもしょうがないんでねこっちはこっちで適当にやりますよ、ええ

というか気がつけば今年最初の記事

ってもう2月、立春も過ぎてますよ、、あらあら

という事で、、、

2022年の劇団KEWA者RAPも豊富なラインナップが控えております

まずは

幻の生物に挑む博士と助手の痛快アドベンチャーコント!

『来る、カクン(仮)』




さらに

約二十年前に今は無き「昭和なつかし館」にて上演されたあの作品の続編が今?!的な

『天使が卓袱台、悪魔でドライブ(仮)』


とタイトルだけ見れば期待させるには十分なほど(個人的見解含む)の二つの作品が控えているわけでありますが
ひとつ問題がございまして、、、それは

どちらも書きかけ、つまり台本が出来ていないという事なのです

ええええええええええええええっっっ????

と思われたでしょうね、きっと

このうちの「え」がひとつふたつ足りないかもしれませんがきっとそういう事なんですよ

ただ、、、どうして出来ていないかというとそれは

コマが足りないからです

コマ、つまり役者ですね


コマってあなた、犬じゃないんだから


という余分な話はさておき

前回も書いたように即戦力としての役者(コマ)が圧倒的に居ない現状、書いても出来ないかもと思うとそりゃモチベーションだって落ちますわよね

かといって出来る範囲で書く、なんてのは面白くもなんともないわけでやりたいことがあって初めて筆も進むわけですから

だから声を大にして言いたい

「コロナ禍だからといって家に閉じこもっていてそれでいいのか!」



今こそその溢れる熱を外に向けて放射し、身体を動かし、声を出すべきだと思いませんか?

なので今一度募集するとします


来たれ!役者志願!


経験値不問、やる気とそこそこの忍耐力、まずはそこから

とりあえずコンタクト・ミーですよ



kewarapp@gmail.com

このラインアップがどうなるかはあなた次第

信じるか信じないかもあなた次第









  

ナンでもやればいい、ってものじゃない

「劇団員募集」

などと勢い書いてみたものの考えてみればぼんやりと存在するアマチュア活動中の演劇ユニットに

「劇団員になりたいです」といきなり来る人などいるはずもなし

こちらもこちらでいきなり来られても困るわけで、、、

ってじゃあ何でそんな事を書いたのかと言われても勢いだったので説明のしようがないのです

そもそも私とて演劇の道へ足を踏み入れたのも「そこに山があるから」というのと同じく「そこに劇団があったから」

つまりすでに大所帯で絶賛継続活動中の劇団という受け皿があったのですんなりと入れたというわけでして

さらに動機はというと「退屈しのぎには丁度良いタイミングだった」という程度のもの

怪しからん!

と怒るなかれ、多くはそんなものですよ、ホント

なのできっかけは気になればそれで良し、としてもまぁいきなり「劇団員」というのもナンなんで

とりあえず募集云々という話は横へ置いておくとしてですね、来年早々に稽古場を確保するのでまずはそこへ来てもらうなりして

それから一緒に声を出すなり、身体を動かしてみるとかしても良し

気が向かなければ見てるだけでも構いませんが、見てても大して面白い事をやるわけじゃないので出来れば声くらいは出してもいいのでは

ないかと、何しろコロナ禍でマスクの中でゴニョゴニョと声を出すしかない日常

こんな時じゃないと思い切り声を出す事ってそうはないですからね

そういえば滑舌とかにも良い発声方法も取り入れたりしてますのでそういう目的からでもいいと思ったりナンかしたりしてからに

ってMr.BOOの吹き替え(広川太一朗さん)か!

、、、知らない人は知らないネタですね、はい

ともあれ

劇団化の件は本当の話なので今後とも『KEWA者RAP』をお気に留めいただき、名前だけでも憶えて帰ってもらえれば、と

、、、って噺家か!


稽古に興味がある方は引き続き連絡お待ちしてますね

匿名でもOKですよ、冷やかしでなければ







  

こんな時にナンですが、のナンが見つからない

今頃になるとやたらと連呼される常套句

皆さんご存知ですよね

そうです

「今年も残すところあと僅か」

というむやみやたらと年末感を煽るあのフレーズですよ

確かに12月の終わりは月末であると同時に年の終わりなわけでそれが過ぎれば次の年に変わるわけですよ

否応なしに

でもよく考えるとおかしいですよね

年末が近いからってそんなに焦らなきゃいけないもんなんですか?

普段の月末ですら余程の事情がない限り「残すところ感」など皆無なのに何故急に年末になるとこうも煽られなきゃいけないのか

どのみち大晦日だって一日経てば自動的に年が明けるわけでそうなりゃつい数時間前までの「残すところ感」など忘却の彼方

むしろその先、年度末(3月)の「残すところ感」の方が冷や冷やものって人の方が多いはず

だったらこの「今年も残すところ、、、」とかいう常套句はその頃に使うのが一番正しいやり方じゃないか

などという気がする師走の今日この頃

風呂に浸かりながら私が考えていたのはそんな腐りかけた常套句の話ではなくこれからの『KEWA者RAP』をどうするかって事

アレっ、、、そういえば名称を『KEWA ZAP』に変えたのでは?と

そんな事あったっけ、とか思いながら過去のブログ記事を検索したもののコレが、、、見つからないんですよ

何処へ行ったんでしょうね、、、KEWA ZAPへの改名宣言的な記事

でも別にいいんです

やっぱり『KEWA者RAP』の方が看板としてしっくりくるので

ということでこんな忙しない時期にナンですが

色々と考えて、、、というほど考えてないけどこの先の事を考えるとやっぱりちゃんと劇団としてのカタチを持った方が良い気がしてきたというか

そもそもどうして演劇をやるにあたって劇団にしなかったのかというと

一人の方が身軽だってのと、毎回色々な面子での座組(一緒にやる仲間)を楽しみたい

というか劇団って看板を背負ってしまうとそこで何らかの義務が生じる、そうなると窮屈で楽しくなくなるし自分の性にも合わないわけですよ

ただ、、、前回も書いたようにそうこうするうちに演劇に関わる人も少なくなり人材確保も容易でなくなってきてそんな余裕がなくなってきているという現実

なのであえて劇団という看板を背負ってみようかなと

だからといって自分自身のスタンスが変わるわけでなし

劇団員になったからといって何らかの義務が生じるわけでなく団費を徴収するつもりもなく

ただ「いつ公演を打つかわからないユニット」じゃなく「目標を持って動いている集団」に参加しているという事実

それだけあれば十分じゃないかと思うのです

とはいえ今までユニットみたいなカタチで続けてきたのでサポートスタッフは居れど正式な劇団員というのがまだ居りません、当たり前ですが

だから募集することにします


『KEWA者RAP』(と書いてケワシャラップと読む)は劇団員を募集します

条件は以下の通り

①稽古に参加可能な18才以上の方(自家用車または自転車、もしくは徒歩にて稽古場まで自力で通える人)

②演劇に興味があり、協調性、つまり他の誰かと一緒に一つのモノを創る作業が出来る方



①に関しては裏方さんなら適度に、役者なら当然ですが毎回(何らかの事情が無い限り)、、、といっても公演間近でない限り連日何てことはないのでご安心を

②に関しては、演劇は見た事ないけどお笑いのライブは好きかも、という方でもOK

何しろ舞台の上でなら何でもあり、ほぼコントみたいな事も平気でやってますので

協調性云々に関してはチームワークって事を理解出来れば自ずとわかるのではないかと


とりあえずこんな感じで、まずは見学からでも全然構いませんし、公演を見てからでも遅くはないと思います

まずはメールで問い合わせからでもOK

kewarapp@gmail.com

が主宰者である私のメアドです

、、と書いたところでそうそう問い合わせがあるなどと微塵も期待してないので

気が向いたらどうぞ♪















  

稽古納め、、、にはまだ早いとして、だ

この時期になると稽古場として使わせていただいている施設では施設利用者が集っての年末恒例の大掃除が行われる

大掃除の後は餅つき大会がありつきたての餅をお汁粉か何かで食べる(、、、というのはつまり食べる所までは参加していないのでわからないのですよ)、、、のだが昨年はコロナ禍で中止

各利用者が利用日に各々の部屋を掃除してオシマイ、という事になったのだが今年も昨年同様、各々で、という事に

今回は一人だったので一人で窓ふき

まぁ掲載するほどの写真ではないがネタがないのでとりあえず載せておきますわ




えっ?一人だったのにどうしてこんな写真があるのかと?

それはですね、、、詳しくは申せませんが見学者がいらっしゃったのですよ、ハッハッハ

、、、って笑ってる場合じゃないか

何しろ、飛騨演劇界(などというものが存在するとは思えないけれども)も少志恒例化が進み

、、、あ、少志恒例化というのは誤用ではなく「志ス者少ナキ」状況が続いている上に「恒例化」つまり「毎回似たような面子ばかりの役者に頼らざるを得ない」という現状を表しているわけで

もっとも、このまま若い人で演劇に関わりたいという人が少ない現状が続くとそれこそ

高齢化

なんて事もあるわけでして


とはいえこの日の稽古場にいらっしゃった見学者2名様はいずれも二十代

いつになく力んでしまって聞かれてもいないのに「演劇の稽古とは」なんて事まで語ってしまうという、、、嗚呼、恥ずかし

(こういのが敬遠される一因になる、なんてことになりませんように、、、切願)

お二方(またはお一方)の目的が何であれもしもこの先に繋がるような事になればそれはそれで有難い縁なわけですが

、、、どうなんでしょうかね

期待せずに今まで通り稽古を重ねるしかありませんが今年丸一年公演が叶わなかった分、来年こそは、と

思っているとどこかで演劇の企画が密かに計画されているらしい、、、なんて噂を聞いたりして

そうなるとムラムラと、、、いや、メラメラとするものが沸いてきて先を越されてたまるかという思いも生じたりしていますが、何はさておき人材確保が先決

でないと独り芝居するしかないわけです

独り芝居かぁ、、、、落語やった方がまだマシか

なんて落語に失礼だよ、Oi!









  

たあぷぽぽ、たあぷぽぽ

木霊ですか?
いいえ、こびりついているだけです

と自問自答してみたのは今朝の事

そうです

たあぷぽぽ、たあぷぽぽ

というフレーズが脳内に響きループを繰り返す秋の午後、如何お過ごしでしょうか

この

たあぷぽぽ、たあぷぽぽ

というフレーズはご存知の方はご存知であろう『外郎売り』の口上に出てくるもの

昨晩は緊急事態宣言解除の初の稽古

といってもまだ座組を組める状態でないので門下生というか預かり生徒的な若者と二人での基礎稽古

その中で行った『外郎売り』のフレーズが脳内でループしている、というわけです

さて

台本は出来たものの肝心のキャスティングが難航、というか人が足りない状況でして、、、

地方演劇の課題なのかどうか知らない(知らんけど)けれど圧倒的マイノリティの演劇人口

とにかく役者が足りない

昔はやりたい人が多すぎて裏方が足りないという時もあったのに今や人材不足は「演じ手」


特に20代~30代前半くらいまでの若者が居ないのです(男女問わず)

その原因としておそらく

①興味がない
②時間がない
③演劇を知らない

というのがあると思うのだけれど募集を掛けたところで来ない

活動しているのだから何かのきっかけがあれば、とは思うけどそれもない

昨晩も実は興味があるだろう未知なる人材数名に声を掛けたもののナシのつぶて、、、

そりゃ「いつでも門戸は開けておきますよ」的な緩やかなお誘いではあったけど「来れません」という言葉が無かったので内心、来るのかなあ、と期待したんですよ、ドキドキしながら

結果としては言わずもがな

タイミングなんだから仕方がないといえばないけどせめて次に希望を持たせるようなアクションが欲しかったな、、、とか

まぁいいんですよ別に、こういうの慣れてるんで

逆に踏ん切りがついたというか、今、やれる面子でやれることを見つければいいという決断が出来たので

これで良かったのかもしれない、と

という事で気持ちが萎える前に次のホン、書き始めるとしますか






(写真は使いまわしの稽古場風景ですあしからず)









  

銭湯でキレないでください

サウナで「ととのえる」という表現があるように、銭湯も「ととのえる」為に行くことが多い

週末に向けての気分転換とか、ハードな仕事の後の湯はまぁ何ともいえない気持ちよさがある

空いているとなおさら開放感があってさらに居心地がよくなるわけだがそれはタイミング次第
あとはその時に来るお客さん(主に常連さん)の種類によるのだが常連といっても十人十色

中には質の悪い常連がいて、せっかく「ととのえ」たいと思っていてもその人が居るだけでかなり雰囲気が悪くなる事があって、そういう時は不運であるとしか言いようがない

とある銭湯にもそういう常連が一人いる

そのオッサンを仮に「ブチギレメガネ」と呼ぼう

そう、その名の通り何かにつけてすぐにブチギレる
常にキレやすい傾向があるというか、浴場に入る瞬間から虫の居所が悪そうというかキープオンご機嫌斜め状態

とにかく大した事じゃない他人の行為に対しすぐに大声を上げ怒鳴る始末

ある時は、自分の銭湯道具を置いていた場所に他の人が(うっかり)座ろうとした瞬間「おいっ!そこ俺の場所や!」とヤクザまがいの威喝

(いや、わざとじゃないんだしそこまで言わなくとも、、、)

ある時は、出る人が戸を閉める際に少しだけ開いてしまった事を咎め「ざけんな、この野郎!」と怒鳴る

(いや、そこは黙って閉めれば済む話じゃね?)

とにかくイライラのオーラが凄くて常にいちゃもんのアンテナを張っているというか、何かあれば(たとえばシャワーの湯が自分に飛んできたとか)ブチギレるのではないかと思うくらいにメガネ越しの目つきが鋭くて

遭遇しただけで「ああ、今日はついてない」と嘆くしかなく、そんな日はただでさえカラスの行水なのにいつも以上に早く出たくなる

確かに常連さんには変わった人も多く、誰に向かって話しているのかわからないくらいにずっと独り言を言ってる人もいたり、自分のお気に入りの場所があったりと、面倒な人も多いのだが、とそういうのを含めて銭湯という空間は人間観察にはもってこいの場所ではある

とはいえほとんどの常連さんは他人に危害を与えるわけでなく無害というかスルー出来る分、可愛げがある

それにくらべてこのブチギレメガネときたら、、、、迷惑千万でしかない

ほんと、来なきゃいいのに

邪魔されたくないとかあるなら自分一人だけの風呂に入ればいいのだし何をしたくて来てるんだろって

クルマだってそこそこいい車乗ってるようだしおそらく自宅にも風呂はあると思うんだよ

そもそも銭湯は公共浴場であって、一人の我儘がまかり通る場所ではないのだからもっと他人に寛容容であるべきじゃないか、貸し切りじゃないんだし

ほんと

来なきゃいいのに

  
タグ :銭湯

間に合った!

緊急事態、だったんですよ、ず~っと

あっちの方じゃなくてこっちの方

台本書き進められないという緊急事態


もっとも、あっちの方もず~っとだったんでこっちの方も似たような期間でしたけれどね

何の話かって?

台本といえば台本の事ですよ

人によっては不要不急でお馴染みの演劇の台本

いまだ課題満載の舞台という空間を使って行われる芝居の台本

とどのつまりはKEWA ZAPの新作台本、なんです

KEWA JAPからKEWA ZAPに名前を変えて初めての台本

初めての台本、とくりゃあ『はじめてのお使いくらい』に注目を浴びそうなものですけどね

まったく浴びないまま今日に至って、、、いや、そうじゃないな

観にいらしたことのあるお客様何人かに「楽しみにしてます」と言われましたよ

むしろそれを糧に、ふとした瞬間に瞼が下がる睡魔と同じくらいに下がりそうになるモチベーションを何度も必死で上げたものです

あの頃が懐かしいなぁ~ってここにきて遠い目してどうすんだよ、Oi!

それで?

完成したんですか? 完成しました

by みつを、、、じゃないけど第一稿がね



緊急事態宣言も今日でとりあえず一区切り、に合わせたわけじゃないけれどせっかくなのでここを目標にユルリとしか出なかった〇ン〇を出すがごとく一気呵成に書き上げました

という事で台本書き作業も今日で一区切り

、、、と行きたいところがここからが肝心

書きながら変わっていったところとか途中で寝落ちしながら書いた部分とかチェックしながら辻褄を合わせつつのブラッシュアップ

まああとは上演台本として整える作業なので気は楽なんですけれどね

とはいえ

これが上演されるか否かはまだ未定の話

何しろ

配役4人のうち3人はナントカなりそう、、、としてもそれも春までの話

今の状況だとなかなか難しいかなぁ、、、とか

もっとも仮に今、出来なくともいつかまた

という希望はまだ捨てておりませんので





あ、タイトルまだちゃんと決めてなかったよ

ちなみに帰ってきた暗闇坂探偵社シリーズですが何か?


  

身体が動けばホンも動く、、、だろう

月も出たし、ならば声も出そうぞ、動こうぞ

という事で三ケ月ぶりの稽古場

で今夜は相方あり、のちょっとした台本あり

独りの稽古もストイックな意味での緊張感があって嫌いじゃないけどやっぱりホンを使って声を出すというのは相方(相手)があってこそ

声に出して読むと気づくこともあったりするのでホンにとっても良き刺激となる

とはいえまだ準備段階なのでまだまだリハビリ程度の小一時間

まぁあっという間だったけれど

それにしても声もそうだが身体も正直というか

三か月も空くともう全然ダメですねぇ

ホンが完成していない負い目もあって稽古予定を組むのを遠慮がちにしていたけれどやっぱりコンスタントにやっていかないと

っていうかどんだけ書き終えるのに時間掛かってんだよ!って感じだけど

自分史上一番時間掛かってんじゃね?

超大作か!









*写真の構図およびポーズその他は次回作と何ら関連性はありません、悪しからず










  

コノママデイイデス?

最近どうにも気になるというか引っかかっているというか

レジ袋有料化になってからお馴染みの

「袋はどうなさいますか?」というフレーズ

プラ削減を叫ばれて以来、マイバッグを持参することが多いのでそっちは別に良い

としても、ついでに紙袋までなかった事にしようというのは果たしてどうだろうか

たとえば書店で本を買うとする

雑誌などは以前なら当たり前のように「書店名」が印刷された紙袋に入れてもらえたのいつからか入れなくても良い雰囲気になってる

ような気がするのは気のせいじゃあるまい

最初こそ入れてほしい空気感を出してみたものの「どうなさいますか」と問われるまでもなく無言で裸のまま差し出されるにつれ何だか

紙袋に入れてもらうのが申し訳なくなってきてしまい、最近は仕方なく「このままでいいです」と裸の本を手にそそくさと立ち去るわけだが、心の中では納得できていないというか

プラは環境云々で有料化にして使用を減らしていこうという取り組みはあるとしても紙袋まで?
これって便乗、、、じゃないですよね?経費削減のための

なんて事は申すつもりはないにしてもさすがに入れるフリくらいしてほしいかなと

そこで初めてお客が「コノママデイイデス」となるわけで

いや、別にいいんですよ紙袋なんざ欲しいわけじゃないしどうせ一回限りでリサイクル行き

だったら入れなくてもいい、とは思うもののやっぱり当然のように裸で渡すってのはなんだかなぁと

よそ様に見られて恥ずかしい本を買うわけじゃないけどたとえば文庫本なんかは紙のブックカバーなんてのはなかなかの味わいがあるんだし
書店の宣伝にもなるわけだし

宣伝といえば前にとある和菓子屋で使い物の菓子を買った際のこと

使い物だしせっかくなら手提げタイプの紙袋に入れて持参しようと思ったのだが最初の店ではなんと「紙袋有料」と書いてあって逆にプラの袋ならタダだという

ところがもう一軒の別の店では確認するまでもなく当然のように手提げ袋へ入れてくれたので一応

「あっ、それは有料なんですよね?」

と確認すると

「いいえ、だって宣伝になりますものね」と

言われて納得、確かにそうだ

お店のレジ袋ってのは宣伝なんですよ
たとえば遠目にみてもわかる伊勢丹の袋とか

まあ無駄をなくすのも美徳ではあるだろうし、本屋さんもなかなか大変だって話は聞いてるのであまりな事は言えないけれどなんだかなぁ


そういえばパン屋でも同じことを感じるというか

小分けする際は仕方なくなのかビニール袋に入れてもらえるもののそこにまだ焼きたてのパンとかあったりすると、その熱を感じながら持参したマイバッグで果たしていいのだろうかと妙な気分になったりして

でも昔は紙袋に入れてませんでしたっけ?

あったかいパンを入れた紙袋を抱え家路に向かう時のあのテンションの高さ

これはビニール袋じゃ味わえないと思うんですけどね

なのに最近じゃ紙袋にすら入れてくれない店が増えてるような、、、、

経費削減って言っちゃそれまで

現実は厳しいのかもしれない

でもやっぱりなんだかなぁって

それ以前に生活する上であまりにもプラゴミの多さにうんざりな日常を体感している者として思うのはむしろ

企業が減らす努力をもっとすべきではないかと

生活する側がマイバッグだとかで減らす努力をしたところで商品の側がそれほどやっていない現状

それなのにレジ袋有料化をしたところであまり効果的ではない気がしなくもないような、、、

レジ袋の代わりに紙袋じゃダメなんですかね

あ、そうなると今度は木材伐採云々で支障がおきるのかしら

大変だなぁ地球  

筆を止めるな!(フデトメ、、、と略すつもりはない只の独り言)

筆が止まる、という表現がある

書き進めていたものが先へ進まなくなる状態の事を指すのだがたとえば

ノートパソコンで書いている(打っている)場合はなんと表現すれば良いのだろうか


でも今時、小説でもなんでも筆で書いている人なんて居るのかなぁ

そういえば手書き(万年筆)で台本書いてる人もいるよなぁ

万年筆は「筆」って言うものなぁ

だったら「筆が止める」でいいのか、そうかそうか


、、、とかなんとか考えているうちにそれらをひっくるめて

「手が止まる」

でまとめておけばいいのだ

ということに気付く

いや、気づいたところで先へ進むわけではないしそんなたやすいものではないのだが

そもそもブログ書いてる余裕をそっちに向ければいいって言われそうだがそうもいかないバネ指君、、、じゃなくバネ指気味な今日この頃


それに、ここまで書き進めてきてすでに結構なページ数になっているのに今更他の題材に手を付けるわけにはいかず

いや、付けてもいいのだがきっと途中で放り出したものはおそらく二度と手を付けないだろう事は今までの経験からわかっている

わかっているのです

だからこそ書かねば

筆を止めるわげにはいがね、という事なのです

つづく