「演劇」って人によっては「恥ずかしいモノ」と捉えられてるんだろうなぁ、と、たまに感じる
たまに?いや、むしろ頻繁に、だな
訂正
頻繁に感じる
穿った見方をすれば演劇を観たことのない人との会話の中で
「エンゲキやってるんだって?」
と言われたその瞬間から心の中では
(へえへえそうでございますよ、あたしゃあなたのおっしゃるエンゲキという得体の知れないパフォーマンスをこの歳になっても恥も外聞もなく続けているんでございますよ)
と、へりくだっているわけではないにしろ何だか後ろめたい気持ちになるのはきっとそういう「恥ずかしいモノ」的な気持ちが少なからずあるのかしらね、どうです?お頭
てやんでぇべらぼうめぃ!
、、、と
江戸っ子しげぞう(©ポプラ社刊)ならそう言う、、、かしらね
(『江戸っ子しげぞう』はシリーズ三巻まで好評発売中!落語みたいな内容のオトナも楽しめる一応児童書です。以上、ついでに宣伝)
とはいえやってる側が恥ずかしいと思っているうちは観ているお客さんにも伝わるのでやる以上は堂々とやらねばならないわけで
だからこそ恥ずかしくないモノを創る為に稽古を重ねて精度を増すこれは当たり前のコトで、、、、
いや、やめておきましょう
工場の裏側を見せる企画ならともかく本来、プロセスなんて明かすような類のものでなし
お客さんにとってはどうやって出来たかよりも目の前にあるものが楽しめたかどうか、それだけですから
そんなこんなの他人事はさておき
これでももう20年以上続けているわけで、言ってみれば「恥を刻んで云十年」
ここまでくると身体はともかく気持ち的にもうやめた、と思うまで多分こんな事を続けるんでしょうな、、、、
ということで今年もやります「演劇ライブ」
などと、堂々と告知したいところが、街中でもロコ誌でもちょうど今時期は大原騒動の二人芝居(?)のポスターや宣伝で溢れかえっている最中(興味のある方はどうぞ観に行ってくださいな、お邪魔はいたしませぬ)ゆえ、今回はとりあえず仮ビラ的イメージ画像にて告知のみ
2018年、夏の終わりに劇場にてお会いしましょう
(一部編集済み)
思うに、表現する事って(おそらく)どんなものでも人目に晒してる時点でなんらかの羞恥心が生じているわけだしそれ以上の堂々たる心持ちがあるから続けられるのかな、とか思ったりします、時々ですが
何にせよ面白いと思えているうちがハナ、かもしれないですけどね