映画『初めての女』検証(孝作、俳句やめるってよ①)
(つづき)
という事で、批評でも批判でもなく「検証」
なのでなるべく、、、なるべく簡潔に書き連ねます
原作は昭和48年に新潮社から出版された『俳人仲間』
幼少期から少年期(17、8歳頃まで)を回想する読み物は以下の四篇で構成されてます
<序篇>桐碧梧のこと/俳句の師匠である河東 碧梧桐(へきごとう)先生との邂逅、、、って呼び捨てかい!
<第一篇>飛騨高山にて/故郷飛騨高山での俳句との出会い
<第二篇>ノンキな店員/魚河岸の店員として働いた経緯や仕事の様子
<第三篇>初めての女/今回の映画で主に描かれる事となる二人の女性との出会い
<第四篇>出郷/その流れで故郷を出るところまで
出版当時孝作79歳
そりゃ記憶が行ったり来たり同じ事が繰り返し登場したりしますわね
、、、失礼
その割には当時交わしたやりとりなど事細かに記憶しているのかそれともかなりの部分で創作が入っているのか妄想混じりなのか
その点でかなり怪しい感じもしなくもありませんが、とはいえ昔の飛騨高山の情景というかこんな所にこんなものがあったのか、とか、今も残る名勝やお店などが出てくるあたりは結構楽しく読めたりするので興味のある方は一読をおススメします
(ただ、、、基本、回想なので語り手を「私」で統一すべきところが相手によってか「少年店員」になったり「折柴(雅号)」になったりと混乱させるような書き方もあったり「...」という三点リーダーがやたらと多いところなど、「小説家」とお呼びするには何だか読みにくい部分もあったりするのでご注意ください)
まぁ私ごときが偉そうな事は申せませんけれど
ということで映画に照らし合わせながら幾つか検証してみます
~以下ネタバレありなので映画を観ていない方でいつか観ようと思っていらっしゃるなら読み進まない事をおすすめします~
その1「残念すぎる孝作キャラ」
映画を観る限り、半ば親父に押し付けられた魚河岸店員の職とはいえ、仕事にも身が入らない、俳句もそれほどのめり込んでいるようにも見えない、のぼせあがったはずの洋食屋の女中から簡単に他の女(芸妓)に目移りする、その上で親父に借金を肩代わりさせる体たらくの果て、夜逃げしようと目論むもフラれて号泣、、、
芥川賞選考委員まで務めた文人の若き頃とは到底思えぬ残念キャラが画面から溢れていた孝作の姿は果たして真実なのか?
その謎を解くためにまずは父親に登場してもらいましょうか
本によると孝作の父は元々は大工の棟梁だったのが山に手を出して失敗、そのせいで指物師に転向したようで(映画では何故か円空仏のようなものを彫る一刀彫職人のような描き方をされておりましたが、、、その方が絵的にわかりやすかったから、かしら)、決して暮らしは楽ではなかったからか息子である孝作には「商人になれ」と勧め、当人もよく考えもせず従がっただけ、、、のようです
「私は十二歳の子供で、何もわからず父に従ふほかなかつたが...」(文中より引用)
12歳じゃ仕方ないですよね
そのせいなのか魚河岸店員という仕事そのものに面白みを感じなかったのか、上司(?)とも馬が合わず職場仲間からも浮いた存在でだったようで、さらに朝から晩まで働きづめというわけでもなく結構時間に余裕があったせいか、空いた時間は読書や俳句に明け暮れていたようでそれが劇中でも登場する通称「ゴミ二階」と呼ばれた物置部屋
古新聞を読み漁るうちに出会ったのが正岡子規による「日本俳句」というコーナー
退屈な仕事(魚河岸関係の方、スミマセン。あくまで孝作の心中を代弁しております)の日々、刺激を受けるには充分な読み物だったに違いありません
ちなみに映画では俳句との関わりはラブレター代り的な描かれ方でサラッとしておりましたが本では結構なページ数を費やしております
(劇中でその辺りの描写がもっとあれば孝作の印象も違った可能性もあるような気も、、、以上、個人的な見解です)
とはいえ孝作もやはり男ですしエネルギーも無駄に余っているわけでして、思春期に異性に興味を抱くのは彼にとって自然な流れだったのでしょうね
たまたま誘われて行った洋食屋で孝作の心を動かしたのは初めて味わうチキンカツレツの味ではなく、名古屋弁の女性店員
それが映画で最初に登場する「お玉さん(およそ20歳くらい)」です
「当時、十七歳の初心の私は好奇心が強く、二十女のパッパッとふりまく愛嬌と色気に、いささかイカレたやうでもあつた。」(文中より引用)
食い気より色気なのか、洋食屋勤務のお玉さんに入れあげていく様子がわかるわけですが、俳句に興味を持ったのと同じように好奇心先行だったせいか本気の恋とまではいかず
何度か待合で飲食をするまでの関係に至ったものの肝心の玉さんが、会うたびに接客時の明るい雰囲気とは真逆の、心ここに有らずといった素振りを見せた、、、せいなのかわかりませんが、たまたまついた芸妓さんに一目ぼれしあっという間に乗り換えます、しかも、お玉さんが同席しているその場で!
「玉サと見くらべても、格段の品のよさ、一芸を身につけたおちついた姿、何でもざつくばらんに正直に出すひとと見えて、好もしかつた」(文中より引用)
、、、幾らテンションの低い連れ(玉さん)だったとはいえ、比較の仕方と言い、とんだ言い草ですな
このあたりを読む限り、孝作の残念なキャラ(身内関係者の方、ゴメンナサイ。あくまで検証です)は映画で描かれたそのままだったのかな、と思いましたが、まぁ17歳の若造ですからね
気移りしても仕方ないといえば仕方ないのかもしれません
ということで長くなったのでつづきます
(引っ張るなぁ、この企画、、、とお思いになったら無理に読まなくて結構です)
という事で、批評でも批判でもなく「検証」
なのでなるべく、、、なるべく簡潔に書き連ねます
原作は昭和48年に新潮社から出版された『俳人仲間』
幼少期から少年期(17、8歳頃まで)を回想する読み物は以下の四篇で構成されてます
<序篇>桐碧梧のこと/俳句の師匠である河東 碧梧桐(へきごとう)先生との邂逅、、、って呼び捨てかい!
<第一篇>飛騨高山にて/故郷飛騨高山での俳句との出会い
<第二篇>ノンキな店員/魚河岸の店員として働いた経緯や仕事の様子
<第三篇>初めての女/今回の映画で主に描かれる事となる二人の女性との出会い
<第四篇>出郷/その流れで故郷を出るところまで
出版当時孝作79歳
そりゃ記憶が行ったり来たり同じ事が繰り返し登場したりしますわね
、、、失礼
その割には当時交わしたやりとりなど事細かに記憶しているのかそれともかなりの部分で創作が入っているのか妄想混じりなのか
その点でかなり怪しい感じもしなくもありませんが、とはいえ昔の飛騨高山の情景というかこんな所にこんなものがあったのか、とか、今も残る名勝やお店などが出てくるあたりは結構楽しく読めたりするので興味のある方は一読をおススメします
(ただ、、、基本、回想なので語り手を「私」で統一すべきところが相手によってか「少年店員」になったり「折柴(雅号)」になったりと混乱させるような書き方もあったり「...」という三点リーダーがやたらと多いところなど、「小説家」とお呼びするには何だか読みにくい部分もあったりするのでご注意ください)
まぁ私ごときが偉そうな事は申せませんけれど
ということで映画に照らし合わせながら幾つか検証してみます
~以下ネタバレありなので映画を観ていない方でいつか観ようと思っていらっしゃるなら読み進まない事をおすすめします~
その1「残念すぎる孝作キャラ」
映画を観る限り、半ば親父に押し付けられた魚河岸店員の職とはいえ、仕事にも身が入らない、俳句もそれほどのめり込んでいるようにも見えない、のぼせあがったはずの洋食屋の女中から簡単に他の女(芸妓)に目移りする、その上で親父に借金を肩代わりさせる体たらくの果て、夜逃げしようと目論むもフラれて号泣、、、
芥川賞選考委員まで務めた文人の若き頃とは到底思えぬ残念キャラが画面から溢れていた孝作の姿は果たして真実なのか?
その謎を解くためにまずは父親に登場してもらいましょうか
本によると孝作の父は元々は大工の棟梁だったのが山に手を出して失敗、そのせいで指物師に転向したようで(映画では何故か円空仏のようなものを彫る一刀彫職人のような描き方をされておりましたが、、、その方が絵的にわかりやすかったから、かしら)、決して暮らしは楽ではなかったからか息子である孝作には「商人になれ」と勧め、当人もよく考えもせず従がっただけ、、、のようです
「私は十二歳の子供で、何もわからず父に従ふほかなかつたが...」(文中より引用)
12歳じゃ仕方ないですよね
そのせいなのか魚河岸店員という仕事そのものに面白みを感じなかったのか、上司(?)とも馬が合わず職場仲間からも浮いた存在でだったようで、さらに朝から晩まで働きづめというわけでもなく結構時間に余裕があったせいか、空いた時間は読書や俳句に明け暮れていたようでそれが劇中でも登場する通称「ゴミ二階」と呼ばれた物置部屋
古新聞を読み漁るうちに出会ったのが正岡子規による「日本俳句」というコーナー
退屈な仕事(魚河岸関係の方、スミマセン。あくまで孝作の心中を代弁しております)の日々、刺激を受けるには充分な読み物だったに違いありません
ちなみに映画では俳句との関わりはラブレター代り的な描かれ方でサラッとしておりましたが本では結構なページ数を費やしております
(劇中でその辺りの描写がもっとあれば孝作の印象も違った可能性もあるような気も、、、以上、個人的な見解です)
とはいえ孝作もやはり男ですしエネルギーも無駄に余っているわけでして、思春期に異性に興味を抱くのは彼にとって自然な流れだったのでしょうね
たまたま誘われて行った洋食屋で孝作の心を動かしたのは初めて味わうチキンカツレツの味ではなく、名古屋弁の女性店員
それが映画で最初に登場する「お玉さん(およそ20歳くらい)」です
「当時、十七歳の初心の私は好奇心が強く、二十女のパッパッとふりまく愛嬌と色気に、いささかイカレたやうでもあつた。」(文中より引用)
食い気より色気なのか、洋食屋勤務のお玉さんに入れあげていく様子がわかるわけですが、俳句に興味を持ったのと同じように好奇心先行だったせいか本気の恋とまではいかず
何度か待合で飲食をするまでの関係に至ったものの肝心の玉さんが、会うたびに接客時の明るい雰囲気とは真逆の、心ここに有らずといった素振りを見せた、、、せいなのかわかりませんが、たまたまついた芸妓さんに一目ぼれしあっという間に乗り換えます、しかも、お玉さんが同席しているその場で!
「玉サと見くらべても、格段の品のよさ、一芸を身につけたおちついた姿、何でもざつくばらんに正直に出すひとと見えて、好もしかつた」(文中より引用)
、、、幾らテンションの低い連れ(玉さん)だったとはいえ、比較の仕方と言い、とんだ言い草ですな
このあたりを読む限り、孝作の残念なキャラ(身内関係者の方、ゴメンナサイ。あくまで検証です)は映画で描かれたそのままだったのかな、と思いましたが、まぁ17歳の若造ですからね
気移りしても仕方ないといえば仕方ないのかもしれません
ということで長くなったのでつづきます
(引っ張るなぁ、この企画、、、とお思いになったら無理に読まなくて結構です)