『初めての女』検証(前置き)
検証...粗探ししている場合じゃないんですけどね、そんな暇あるなら台本書けよって言われそうですが
...って誰に?
余談ですがこの「...」、正式には「三点リーダー」と呼ぶそうで小説などでは「余韻」的なものを表わすのに使う事が多いようです
さて
先月、高山市民文化会館大ホールにて『初めての女』という映画を鑑賞してきました
高山市文化協会設立70周年記念映画という事で本来ならば3月に華々しく上映会が行われたはずの映画ですが、半年越えてようや上映されたという事もあり、さぞかし大ホールの前には長蛇の列が、、、と思ったら余裕で座れました
あちこちで開催されたせいでしょうかそれとも感染を怖れてだったのか、神田伯山のチケット発売日とはえらい違いだな、と一人ごちたは余分な話ですが
映画『初めての女』は原作があの有名な、、、といっても私は名前しか存じませんでしたが飛騨が誇る著名な文人、瀧井孝作の『俳人仲間』
何しろ芥川賞創立時の選考委員を務めた方ですから、どんな事情があったのかは存じませんが「映画を作るなら瀧井孝作でいこう」という鶴の一声でもあったのでしょう
その『俳人仲間』の中の幾つかのエピソードから成り立つこの映画
監督の小平氏を始めスタッフは外部のプロ、メインの役者もほぼ飛騨以外の人、という事で飛騨に縁のある瀧井孝作(居たのは17、8歳頃までではありますが)の映画を飛騨に縁の薄い人たちが製作するというオトナの事情、、、はさておき
大々的に地元ロケを敢行し、クラウドファウンディングまで行ったわけですから、原作未読の私でも期待せずにいられないわけです
そうでなくとも個人的に長い付き合いのある演劇同胞二名が役者で参加しているのですからドキドキしながら久しぶりの大スクリーンでの上映を楽しみにしておりました
そして上映終了後
会場をあとにする私の心の中にはモヤモヤしたものが渦巻いておりました
勿論、映画そのものは決して悪い出来だとは思いません
外部から来た製作陣とはいえ飛騨への思い入れ無くして作れ得なかった映画だと感じられるような「飛騨らしい」映画になってました
映像的にも綺麗な場面が幾つか印象に残ったし、地元ロケを生かした飛騨ならではの情緒ある風景(たとえ瀬戸川ロケが多用されたとしても)は映画の内容と合っておりましたし、魅力的な女優さんも出ておりましたから、(途中でイビキのような音を聞いたとしても)二時間という予想外の長さであったとはいえ眠たくなるような退屈な作品だと切り捨てるような映画ではなかった、とあらかじめ言っておきます
ですがなんでしょうこのモヤモヤしたものは
少年時代だとはいえ映画の中だとはいえ文人・瀧井孝作のあまりにも残念なキャラ設定
なんだかよくわからない父との関係性
そして何よりも二人の女との関わり
そうして日を重ねるにつれそのモヤモヤはどんどんと大きくなっていって、、、気になって気になってこのままじゃ気になる木になりかねない
そこで私はこう思ったのです
「そうだ、原作を読んでみよう」
前置きが長くなりましたので続きは次回

...って誰に?
余談ですがこの「...」、正式には「三点リーダー」と呼ぶそうで小説などでは「余韻」的なものを表わすのに使う事が多いようです
さて
先月、高山市民文化会館大ホールにて『初めての女』という映画を鑑賞してきました
高山市文化協会設立70周年記念映画という事で本来ならば3月に華々しく上映会が行われたはずの映画ですが、半年越えてようや上映されたという事もあり、さぞかし大ホールの前には長蛇の列が、、、と思ったら余裕で座れました
あちこちで開催されたせいでしょうかそれとも感染を怖れてだったのか、神田伯山のチケット発売日とはえらい違いだな、と一人ごちたは余分な話ですが
映画『初めての女』は原作があの有名な、、、といっても私は名前しか存じませんでしたが飛騨が誇る著名な文人、瀧井孝作の『俳人仲間』
何しろ芥川賞創立時の選考委員を務めた方ですから、どんな事情があったのかは存じませんが「映画を作るなら瀧井孝作でいこう」という鶴の一声でもあったのでしょう
その『俳人仲間』の中の幾つかのエピソードから成り立つこの映画
監督の小平氏を始めスタッフは外部のプロ、メインの役者もほぼ飛騨以外の人、という事で飛騨に縁のある瀧井孝作(居たのは17、8歳頃までではありますが)の映画を飛騨に縁の薄い人たちが製作するというオトナの事情、、、はさておき
大々的に地元ロケを敢行し、クラウドファウンディングまで行ったわけですから、原作未読の私でも期待せずにいられないわけです
そうでなくとも個人的に長い付き合いのある演劇同胞二名が役者で参加しているのですからドキドキしながら久しぶりの大スクリーンでの上映を楽しみにしておりました
そして上映終了後
会場をあとにする私の心の中にはモヤモヤしたものが渦巻いておりました
勿論、映画そのものは決して悪い出来だとは思いません
外部から来た製作陣とはいえ飛騨への思い入れ無くして作れ得なかった映画だと感じられるような「飛騨らしい」映画になってました
映像的にも綺麗な場面が幾つか印象に残ったし、地元ロケを生かした飛騨ならではの情緒ある風景(たとえ瀬戸川ロケが多用されたとしても)は映画の内容と合っておりましたし、魅力的な女優さんも出ておりましたから、(途中でイビキのような音を聞いたとしても)二時間という予想外の長さであったとはいえ眠たくなるような退屈な作品だと切り捨てるような映画ではなかった、とあらかじめ言っておきます
ですがなんでしょうこのモヤモヤしたものは
少年時代だとはいえ映画の中だとはいえ文人・瀧井孝作のあまりにも残念なキャラ設定
なんだかよくわからない父との関係性
そして何よりも二人の女との関わり
そうして日を重ねるにつれそのモヤモヤはどんどんと大きくなっていって、、、気になって気になってこのままじゃ気になる木になりかねない
そこで私はこう思ったのです
「そうだ、原作を読んでみよう」
前置きが長くなりましたので続きは次回
