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選曲...の妙、選曲...が妙

今まであまり考えなかったのですが今回初めてパンフレットに

「選曲」

という欄で担当者の名前が載せられるようです

...といっても私のことなんですけどね
ええ

本来の役割としては「演出」だけで結構なのですが一応今回も選曲までやってしまってます


手前味噌な話ですスイマセン(-_-;)

芝居とは関係ないのですが以前、ある宴席において

「棟柱にその建物に携わった棟梁の名前が書いてあったが、ああいうのはいいもんだ、職人さんはそうすべきだと思う」

というような話をした方がおりましてその方がおっしゃるには良い物は“記憶”ではなく“記録”を残すのも大事ではないかと

ややノスタルジックな気分で熱く語っていたのですがこれを聞いていたある職人の方がえらい剣幕で

「本当に腕のいい職人ってのは名前なんか残さないんだ!」

と何故か急に怒り心頭になりまして、これが元で険悪なムードに変わった...というのはオマケの話なんですが、飛騨の職人の奥ゆかしさ云々という話はさておき確かに

名前を刻む=自己顕示欲

と捉われる事も少なくないでしょうし、腕の良し悪し云々と関係なく残したくなければ残さなくてもいいんじゃないかとは思いますよ

でもね
すべてが自己顕示欲ゆえのことだとは限らない
むしろ

名前を刻む=責任を表す

という意味でなら、残してもいいんじゃないかと


私個人としても自分の仕事ではそうしておりますがそれは「自分が作ったぞ」とうう自己顕示ではなく製作者としての「責任」として刻んでいるつもりなのです

(もっとも、時にはその「刻印」が邪魔にならないかと悩んだりして結局はそうしない事もありますが...)

...という話がどこへつながるかというとさきほどの「選曲」なんですね

今まで自分の関わってきた芝居を含めてほとんどの劇団では「選曲者」のクレジットはあまり載せていないと思います

とはいえ「音楽」はどんな芝居でもほぼ無くてはならない大事なモノ

自分自身の出自というか芝居に関わった最初の担当が「音響操作」(ヘルプでしたが...)である、だけでなく自身で音楽も奏でている身という以上に「音楽」そのものに並々ならぬアンテナを張っているモノとしては常に気になるところ

ところがこれが意外と蔑ろにされている感もあるというか

ただ流せばいいってもんじゃないだろ!

とか

そこでそれかい!

などとツッコミたくなることもしばしば

他人がとやかく言うことじゃありませんがね、ええ


だけど、曲にこだわりが有る無しで芝居の出来も左右されると言ってもいいほど(役者はこれに左右されちゃいかんとは思いますが)芝居と音楽のバランスって重要なんです

だから「選曲」にこだわりたい
「選曲」に妥協したくない
だからこそ「選曲者」としての責任を持ってもいいかな、と

思ったのは先日観た劇団山の手事情社のリーフレットにあった「選曲」というクレジットを見たからでしょうね


そしてその『トロイラスとクレシダ』での選曲は、ラウンジ音楽あり(シェークスピアでラウンジですよ!なんて斬新な選曲でしょうか)いつものJAZZあり、デリカテッセン(という映画のサントラ、です)あり

前回以上に賑やか、だったのはシェークスピア劇だからじゃないでしょうけど、その賑やかさがやや賑やかすぎた感

...があったような


個人的な感想、ですけどね

勿論、芝居そのものは刺激的で素晴らしかったです




とはいえ芝居において音楽(音響効果すべて)はあり過ぎてもよくない

音楽が饒舌すぎると芝居に集中できなくなることもあり、肝心なものがぼやけてしまう恐れもあるのです


長くなったのでまた次回


とりあえず宣伝しときます


選曲...の妙、選曲...が妙






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