パンクだった

決して禿げあがってきたわけじゃないのですが「立ってるよ」と指摘されることもあるくらいに寝癖で鬼太郎状態になっていたのはいつのことでしょうか
コシが弱くなってきたかもと感じている今日この頃にペタンとした髪の状態の我が身を見るにつけまさか髪形まで野田ウィルスに侵されたわけじゃあるまいに...

しかしながら脳内はすっかり野田ウィルスに侵されたままのようで今もあの衝撃的展開についてあれやこれや考えております

確かに、今までの野田さんならきっとこの題材をあのように直球でぶちこんでくることはなかったでしょう
野田さんらしいオブラートに包んで、あとは観る者の解釈に委ねるという具合にして確信犯的にくそ笑む...それこそがNODA MAPらしい芝居であり、野田さんらしい展開に「おお〜っ、こうきたか」と留飲を下げる観客

といった感じだったはずです

だけど今回は違ったのです
いや、勿論、序盤の、下手すればおいおいこれじゃ言葉遊びというよりも親父ギャグだよ野田さん大丈夫かと苦笑いしてしまうような台詞の連発もありつつのやはりグルグルと想像力の荒波をうねるように展開しつつ煙に巻くように次第に核心へと突入する、といういつもの流れではあったのです
でもそこからが違った、というかもしかして根っこの部分では変わらないのかもしれないけど、もっとハッキリとしたカタチで、ちゃんと伝えたい、いや、伝えなきゃ、残したい、いや、残さねば、という強い思いを前面にグイと出したというか

野田さんの覚悟のようなものを強く感じたような気がするのです

何の話かわからない、とおっしゃる方がほとんどでしょうね
でもここでは申しません

これは説明するものでなく映像でもなく、演劇=舞台劇というナマの表現芸術だからこそやるべきことだったのかもしれないし、その会場にいなければ到底伝わりきれないことだからなのです

勿論、いままでの野田芝居を好んできた人でもあの展開には賛否両論あると思います

それでも、最後のほぼ観客総立ちの会場と5度に渡るカーテンコール

これがすべてを表しているような気がします

あとは開演前に流れていたセックスピストルズの曲

そう、きっと今回の芝居の野田さんはパンクミュージックを演奏しているようなそんなアナーキーな感情だったのかもしれません

ピストルズを初めて聴いた高校生の頃のように、帰りのバスの中でもずっと脳内は痺れっぱなしでした

私のように「その名前」だけは知っていても実際に何があったのかをほとんど知らなかったという無知で無恥な者にとってもやはり観て良かった

可能ならば今一度、観直してみたい、色々な意味でも今まで以上にそう思う内容でした

NODA MAP公演『逆鱗』

パンクだった




それにしてもシアターBRAVA!閉館だなんて重ね重ね残念でなりません

後ろから数える方が早い今回の席でも役者の表情が伝わる、そんな理想的なキャパのハコ

ああいう小屋こそ残してほしかった...
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