パッション

前回のブログで「台本を書く」と宣言したはいいもののいまだ何も手つかず

次回稽古のプランもあれこれ立ててみたものの気持ちが前に進まない

意欲ある若手が参戦の意志を示しているし、その時が来たらきっとまた力を貸してくれそうなスタッフも控えている(はず)

なのに肝心のホンが書けない、、、

こういう時によく使うのが「枯渇した」というフレーズ

だがネタは幾つもあるし手を付けたまま先に進んでいないホンもあるし、そういう意味では「枯渇したわけではない」という自負はある

、、、自負なのかコレ?

兎に角、ネタに困っているわけじゃない(自慢ではない、決して)

何度も書くが、気持ちが前に進まないのだ

そんな折、毎日新聞の夕刊にあった辺見庸氏のインタビューを読んでハッとなった

「やっぱりコロナが、物語性を奪うというか、壊しちゃうっていうか。物語る力がやられる感じがしてね。パッションが起きなくなっている。」

(以上、インタビュー記事より一部転載)

、、、パッションが起きない、そうか、、、そういう事だったのか

凄く腑に落ちたというか、そういう事だったんだな、と

勿論、辺見庸氏のような方と自分を比べるのはおこがましいのであるが、コロナに抗うあまりに何とかしよう何とかしなきゃという思い

それが先走ってばかりで肝心のパッションが沸き上がってなかった

そりゃ無理だわ、と

今まではそれなりに勢いで続けざま公演を打ってきた事もあるし同胞に恵まれた事が何よりもチカラ(=パッションの源)と成っていたのだと思う

しかしこのコロナ禍

出来ないかもしれないという空気が向かい風というか壁になっていて、それを乗り越えねばという無意味なプレッシャー

お客さんには関係ない事実だとはいえ今現在公演を続けている劇団(⇒ユニットも含む@飛騨地域)が自分だけという負い目まで抱え込んで、それに加えて若手の気持ちに応えたいという思い、、、

そりゃ無理だわ、と(二度目)

今だからこそやるべき芝居、なんてものがあるかどうかはさておき

今やりたい事がない以上、書けるわけがない

今だからこそ書くべきだし今だからこそやらないと、とかなんとか奮い立たせてみたもののそもそもそんな動機で何か書いたところで面白いわけがない

まぁ、、、無理しなくてもいいかな

って辺見氏の記事を読んで少し楽になったのは正直な気持ち

今年出来なくてもいいやって思えばそのうち何かやりたいもの出てくるだろう

それまで適当にやりますよ

稽古だけは続ける、続けなかん

これだけは誰かの為じゃなく自分の為に

誰か来れば一緒にやる

誰も来なきゃ独りででもやる

それが稽古

まあ密かにワークショップ的な試みから何か新しいアイデアが生まれる、なんて事があれば面白いんだろうけれど

とか思いつつもそんな事はまず無いんで

パッション



(写真は本文とはまったく関係ありませんが護国神社お堀から見た紅葉な景色です)

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